うまく撮ろうとするのをやめたら、写真がもっと楽しくなった。
きっかけは2023年に読んだ、写真家の幡野広志さんの著書『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』。「好きなものを撮る」「見たものをまん中で撮るだけでいい」という言葉がすっと腹に落ちた。ちょうどそのタイミングでRICOH GRのフォトウォークイベントで幡野さんが講師をするというので参加。実際にお話を聞いてうまく撮らなくてもいいんだ、と思えた。
それまでは写真がうまくなりたいと思っていた
私は10年くらい前に写真を撮るようになって、うまくなりたいといくつか写真教室に通ったことがある。グループ展に出品もした。その結果、少し上手に撮れるようになったけれど、本当に撮りたいものが何なのかわからなくなってしまったのだ。
どういうことかというと、教室に通ってしばらくすると、先生に褒めてもらえる写真を撮ろうとするようになってしまい、別の先生に習うと、今度はその先生に気に入ってもらえるように意識する。先生たちの写真は好きだし、あんな写真が撮れたらいいなと少なからず思っていたものの、先生の好みに寄せていく写真は本当に私が撮りたかったものではないと感じるようになっていった。
写真で自分の内面を表現……しなくてもよくないか?
それに、多くの先生が説く「自分と向き合って内面を表現しよう」という教えが重かった。
私はそこまで真剣に写真に取り組んではいなかったから。写真はいくつかある趣味の一つ。手芸やスポーツ観戦と同じ程度の娯楽でしかない。
幡野さんは、何かを見て心が動いた瞬間にシャッターをきる、たくさん撮りましょう、と教えてくれた。そんなシンプルな写真との付き合いが私には合っていると思った。自分の「好き」を表現するコツをつかむためにも、たくさん撮ろうと言っているんじゃないだろうか。

ヘタだけどいい写真
それからはヘタだけどいい写真が撮れるようになりたいと思っている。
見たら撮る。シンプルに続けていくことで心も軽くなりより楽しめるようになった。

そうやってたくさん撮った写真を後で見返したときに、自分の内面が見えてくるのかもしれない。日々、目にしたもの、気づいたこと、驚いたこと、思わず笑ってしまったこと、そんな心が動いた瞬間をただ撮っていく。そうして撮った写真に内面が写っていくんじゃないかな。
そうなるまでには時間がかかると思うけれど、気長に楽しみながら写真を続けていきたい。
文章:hori





