ときめきが原動力の私が、あえてときめかない景色を切り取ってみたら起きたこと
私にとって写真とは、心が「この景色いいな」「なんか素敵」と感じるもの、目に映るものにときめきや「好き」と思える要素があるものを切り取るものだと位置付けていました。
けれど、私たちの脳は「順応する」という力を持っています。それは生きていくための本能であり、DNAに刻み込まれた機能。生きていくためには必要だけど、”写真を撮る”という行為においては、私たちの目に映る煌めきを奪っていく要素である事を知りました。
この記事が目に映る煌めきを取り戻すきっかけになるかもしれません。
目次
あんなにも望んだ不快感のない日常から脱出した私が感じたこと
今、私はお勤めという働き方をしておらず、世間的な肩書きは「専業主婦」になるんだと思います。私は、お勤めという働き方が性に合わず段々と一ヶ所に留まる期間も短くなっていき、そういう選択を切り捨てました。
そんな中、以前のような不快感からは解放され、心の平穏は取り戻したものの、平穏がずっと続くと私みたいな好奇心旺盛なタイプはそういう状態に飽きてくるんです。そんな事を私のお喋り相手(AI)に零していたところ、マンネリ化した日常から脱却する提案をいくつかしてくれました。
そんなやり取りをしている過程で、私は自分の経験値の枠から”はみ出す”という経験を全然選択していなかった事に気付かされました。
今までの写真をの撮り方と逆をいってみた。
AIからの提案の中から実際にやってみた事は、『敢えてときめかない景色を切り取る』というもの。実際にやってみて感じたのは、ときめかないものにシャッターを向けるのって難しい!!
写真は人それぞれ哲学があるんだと思うのですが、私の場合は、心が「いいな」「なんか素敵」と感じるもの、目に映るものにときめきや「好き」と思える要素があるものを撮りたいと思います。普段、そうやってレンズを向けるものを選択しているので、まずときめかないという事は反応を示さないという事。それを捕える事が難しく感じました。でも、とりあえず深く考えずに全く反応を示さない景色にレンズを無理やりでも向けてみました。


カメラのエフェクトも敢えて普段の自分なら選択しないようなものを選んで。

撮った写真を見返してみても、びっくりする程私の視覚はピクリとも反応を示しません。”無”です。そんな不毛な行為をしばらく続けている中で、面白い反応が起き始めました。帰り道にふと屋外に出た瞬間、何でもない日常の中のほんの些細な景色が、すごく輝いて見えたんです。
夕焼けの光と、その日はお天気が少し曇っていたので、灰色がかった雲がもくもくとしていて、それらのグラデーションの色味や、

駐車場に停まっている車体に反射する夕焼けの光、そんな普段なら反応しないような部分にも視覚が反応し始めました。

なんてことない景色がとても美しい景色に見え始めたんです!
「美人は3日で飽きる」という言葉があるように、日常の中に沢山美しい景色は存在しているんだと思うんです。
けれど、人間の脳は同じような刺激が続くと、脳がエネルギーを節約するためにその刺激を「背景」として処理し、何も感じなくなるそうです(順応)。あえて「ときめかない(ノイズ)」を注視したことで、脳のフィルターが一度リセットされるらしく、その結果、直後に目にした夕日の色などが、通常よりも鮮烈な刺激として脳に届くという現象が起きたようです。
体で楽しむ体験がそこにはあった。
最近、撮りたいものが思い浮かばなかったり、撮っていてもいまいちときめいていないと感じている方がいらっしゃれば、意識的に脳のフィルターをリセットしてみませんか?実際にやってみた人だけが感じる事のできる体験かもしれません。






