気が付けば”写真”は私の人生になっていた。
人から賞賛される写真を撮れるようにならなきゃいけない、
そんな風に上達することを追い求めてきたけれど、
そんなもの必要なかった。
そんなものなくたって、私にとって写真は
もう既に私の一部になっていた。
写真との出会いとこれまで
ある日、本を読んでいた時、
多分、本に書かれていた言葉から何かが連想されたんだろう。
可愛い女の子や仲間らしき人達に囲まれ
わちゃわちゃ楽しそうにしているイメージが脳内に広がった。
そのすぐ後に、ミラーレス一眼カメラについて調べ始め、
FUJIFILMのx-A5という機種のカメラを買った。
自分なりに撮影してみたけれど、理想とするような写真はなかなか撮れずに、ネットで検索してみたけど、数字に弱い私は、F値やシャッタースピードの関係等ちんぷんかんで、己の能力の限界を感じ、写真教室の体験会に申し込んだ。

初めての課外授業は写真ってこんなに頭を使うんだ⁈とへとへとになった。
体験会に参加した日にそのまま入会したけれど、
当時の私は自分の扱い方をまだまだわかっていなくて、うまく馴染む事ができずに、写真の腕も上達することなく、居心地の悪さから、1年程在籍した後、退会する決断をした。
しばらくして、Instagramの広告で流れてきた、オンラインで受けられる無料体験会に申し込んで受けたら、秀逸に組まれた導線のレールに乗って、あれよあれよと入会する流れになった。
そこでは主にレタッチの腕が上がって、少しだけ、自分の表現したい写真が作れるようになった。
こちらのコミュニティも1年程で、生活基準との不一致を感じ退会した。
これまで、写真教室とオンラインコミュニティで学んできた経験を通して一人で写真を撮っていく限界を知っていたからこそ、コミュニティを再び求めた。
そこで出会ったのが、今も所属しているcamelltown。

一緒に美味しいご飯を食べたり、



私のライブラリはみんなと色んな所へ行った写真で溢れている。
camell内で出会った人だけでなく、プライベートでも
様々な出会いや経験を運んできてくれた。
気付けば、なくてはならない存在になっていた
写真は私の人生の一部になっている。
写真には正解がない。
ある意味人生みたいであり、自分探しに似てる。
「私らしい写真を見つけなきゃ!」
と、外側からの評価を求めだすと迷宮入りし始める。
表現の仕方なんていく通りもあるからこそ、迷いも生まれる。
とっても奥の深い世界。
だからこそ、ハードル高く感じたり、熱が冷めて遠退いてしまう人もいるだろう。
私も、何ヶ月もカメラを触らなかった時もあったし、波がある。
それでも、「写真を撮る事が楽しい」その思いを知っているだけで、
色んな経験や人との繋がりを連れてきてくれる。
いいねが沢山もらえる写真、認められる写真、
そんなものを求めてしまう事は多々あるけれど、そうなっている自分に気が付いたら自分の感覚に意識を戻して、自分が感じる美しさって?
私はどんな景色のどんなところにときめく?
そんな視点に戻ってきてほしい。
そして、細く長くでいいから
暮らしの一部に写真を撮る行為がずっとあってほしい。そんな風に思う。





